被ばく医療の第一人者、94歳医師が訴える

palsystem  Kinari きなり 11月1回カタログより


「生きる権利」は自分で守る―――
すべての人が放射能と向き合う覚悟を。

東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の事故から半年余り。
私たちは「放射性物質拡散」という、生活のあらゆる部分においてその土台を根底から覆しかねない深刻な事態に直面している。

自ら広島での被ばく体験をもち、かつ長年にわたり被ばく医療に携わってきた医師、
肥田舜太郎さんに、原爆の本質的脅威「内部被ばく」について聞く。




「内部被ばく」の研究を遅らせた米政府による箝口(かんこう)令。 

今年94歳になる肥田舜太郎さんは、原爆投下直後から、被ばく治療にあたってきた医師のひとり。自身も、1945年8月6日、広島市郊外の戸坂村で被ばくした。

原爆のイメージは、摂氏6000℃にも達する高熱や凄まじい破壊力。が、実際には、水、大気、土壌といたるところに広範囲に降り注ぎ、人体に入り込んで長年にわたって遺伝子を傷つけ続ける残留放射線にこそ原爆の本質的な脅威がある、肥田さんは言う。
つまり「内部被ばく」だ。

「『わしはピカにはあっとらん』と言っていた兵士に突然、紫斑や出血が起こり、亡くなった。なぜ・・・・・と混乱しましたが、原爆とは結びつかなかった。実際にそれが内部被ばくによるものだと知ったのは30年も後でした」

内部被ばくの研究を遅らせた原因のひとつは、広島と長崎の被ばく者の受けた健康被害が軍事機密に指定され、本人および医療関係者に対して箝口(かんこう)令が敷かれたこと。

「アメリカが日本にしたことで、私はこれがいちばん許せない!そうでなくても被ばく者は根拠のない差別に苦しみ、孤立していた。多くの被ばく者が健康を破壊され、病気を相談できる場もなく、こっそりと亡くなっていったのです」

肥田さんの表情が怒りでゆがむ。




「『生きる権利』に疎いのは日本人の弱点です」

70年近く被ばく者に寄り添い治療と研究を重ねてきた肥田さん。一貫して「核」「内部被ばく」と向き合ってきた肥田さんのもとには、福島での原発事故後、相談の電話が後を絶たないという。

「全国どこでも大丈夫という保障はない。原発が稼動している限り、福島だけでなく、どの原発も常時放射線を排出しているのだから。私たちは誰もが被ばくの可能性があると認識したほうがいい」「これからは放射線がからだに入っているという前提でものを考えたほうがいい」・・・・・・。

肥田さんの口から語られる"私たちの現実"はあまりにも厳しく、にわかには受け入れがたい。が、もはや3.11以前とは違う環境に生きているという事実から、私たちは目をそむけるわけにはいかないのだ。

「日本人には、『生きる権利を侵させない』という自覚が足りないし、自分を守ろうという意識が低すぎる。もっと自分を大事にしなきゃいけません」と私たちを叱咤する肥田さん。

「人は、『こう生きよう』『こう生きたい』という意思をねじまげられたり邪魔されたりしなければ、からだの中の生きる法則が目いっぱい発揮され、生きる力は最大になるものです」

自らの体験を可能な限り、多くの人々に語り継ぎたいと、94歳でなお全国を講演し続ける肥田さん。その艶のある笑顔が肥田さんの言葉を裏付けているようだ。




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肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)
1917年広島県生まれ。1944年陸軍軍医学校卒。
軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。1945年広島にて被ばく。
被ばく者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。










d0231842_9414335.jpg「知らなかった」では済まされない。
『内部被爆の脅威―――原爆から劣化ウラン弾まで』
肥田舜太郎/鎌仲ひとみ (筑摩書房)











※紙印刷で宅配されるカタログより手打ちタイプで入力してアップしています。
 オンラインデータではありません。



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by silverfountain | 2011-10-23 09:51 | 放射能被ばく予防&ケア
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